当ページにはプロモーションが含まれています。

朝ドラ『ブギウギ』のモデル・笠置シヅ子のドラマティック人生を解説!

朝ドラブギウギモデル笠置シヅ子

舞台せましと歌い踊るパフォーマンスに観客は熱狂!

趣里さん演じる朝ドラブギウギヒロインのモデルは、戦後の大スター・笠置シヅ子さんです。

この記事では、笠置シヅ子さんの生い立ちから晩年までの人生を紹介し、その人物像や、恩師・服部良一氏(ドラマでは羽鳥善一)、そして最愛の人との関係にもふれていきます。

ヒロイン・鈴子がこれからどう成長し、何を成し遂げるのか興味のある人なら、知っておいてソンはありません。

ひとりの人間としても素敵だった笠置さんの物語、ぜひ最後までお読みください。

目次

笠置シヅ子は朝ドラ「ブギウギ」のモデル!

笠置シヅ子(以下、敬称略)は、戦前から戦後にかけて活躍した歌手・女優。とくに戦後は「東京ブギウギ」などのヒット曲で一世を風靡し、戦争で傷ついた民衆を元気づけました

彼女は38年前に亡くなりましたが、今、2023年、NHK朝のテレビ小説『ブギウギ』のモデルとして再び注目されています。

朝ドラ『ブギウギ』は、笠置シヅ子の生涯を元に、主人公・花田鈴子(趣里)の波乱の人生や、日本の音楽シーンに与えた影響などを描いたドラマです。

とくに大ヒットした楽曲「東京ブギウギ」の誕生、そこからの「ブギの女王」としての活躍が見ものです。

Keiko

今まで彼女を知らなかった人も、「お母さん女優」としてちょっとだけ知っていた人も、このドラマを観れば「歌手・笠置シヅ子」の魅力がわかるはず!

ブギウギへの道~笠置シヅ子の前半生

笠置シヅ子の生い立ち

笠置シヅ子は1914年8月25日、香川県大川郡相生村で生まれました。

出生の翌年秋に父親が亡くなり、当時まだ18,19歳だった母親は、シヅ子を連れて実家に戻りました。

母親は母乳の出が悪かったので、大阪から出産のために帰省していた近所の女性に貰い乳をするようになります。その縁でシヅ子はこの女性に引き取られ、大阪の米屋(のちに銭湯に商売替えした)の夫婦の娘として、愛情を受けながら育ちます。

後年になって、シヅ子は自分が養女であったことを知りますが、最後までしっかりと義理の両親の面倒を見て、その恩に報いたのです。

Keiko

養母は、『ブギウギ』の水川あさみさん演じるツヤさん同様、きっぷの良い人だったようです。芸事にも理解があって、幼い頃からシヅ子さんに日舞などを習わせました。

Keiko

『ブギウギ』のスズ子は養母が早く亡くなった後、養父を東京に呼び寄せて一緒に暮らしましたが、これもシヅ子さんの行動そのままです。

芸能界入りからレコードデビューまで

シヅ子は1927年に小学校を卒業し、宝塚音楽歌劇学校を受験しましたが、小柄だったために身体検査で不合格になりました。しかし、「松竹楽劇部生徒養成所」の事務所に駆け込み、その情熱を買われて合格。「三笠静子」として娘役で舞台に立つようになります。

芽が出るまでに時間がかかったものの、1934年には日本コロムビアから「恋のステップ」でレコードデビュー。1935年には、「笠置シズ子」へと改名しました。

Keiko

その年に「三笠宮家」が創設されたので、同じ苗字は恐れ多いと、違う苗字に変えたんですって。まじめですよね。

師・服部良一との出会い~スウィングの女王と呼ばれる

戦時色が濃くなっていた1938年、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)のトップスターとして活躍していたシヅ子は、今度は大人向けのレビューを担う松竹楽劇団(SGD)の専属団員に選ばれ、上京します。そして、SGDの副指揮者に就任していた作曲家・服部良一氏と運命の出会いを果たします。

服部氏が初めてシヅ子に会った時の印象は、「眼をしょぼしょぼさせた、地味な印象の小柄な女性」。

ところが、彼はその後の舞台稽古で、シヅ子の歌と踊りに度肝を抜かれるのです。

服部の指揮する楽団の軽快なジャズのリズムにのって、舞台袖からひとりの女性が、元気よく飛び出してきた。笠置シヅ子、その人だった。先ほどあった女性とは別人のオーラ。目元には、3センチほどもある長いつけまつげをしていた。そして、その動きの派手さとスウィング感は、明らかにほかのダンサーとは一線を画していた。

出典:「日本の作曲家 服部良一」(服部音楽出版監修/ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)

この時から、服部氏はすっかりシヅ子のファンになってしまいます。生涯続く長い師弟関係の始まりでした。

服部氏はそれから彼女のために『ラッパと娘』センチメンタル・ダイナ』など数々の曲を書き、シヅ子は「スウィングの女王」の異名を持つようになります。

Keiko

『ブギウギ』の第6週「バドジズってなんや?」で、スズ子が服部からみっちりレッスンを受けたのが『ラッパと娘』ですね!

「敵性音楽の歌手」として規制を受けた戦時中

「敵性音楽」として規制を受けた戦時中

しかし、戦争が始まると、彼女の派手なステージは警察の規制の対象となり、自由なパフォーマンスができなくなります。

1941年にはSGDが解散。その後は「笠置シズ子とその楽団」を結成し、各地で慰問活動を行いました。映画「弥次喜多大陸道中」で初主演を果たしたのもこの時期です。

しかし、ジャズをレパートリーとするシヅ子は「敵性音楽の歌手」とみなされ、戦時中は、国内の地方巡業や工場の慰問で細々と活動するしかありませんでした。

当時、ブルースの女王・淡谷のり子も、メイクやマニキュアを国防婦人会に批判されましたが、「これは兵隊が鉄カブトをかぶるのと同じだから贅沢ではない」と言い返したのだとか。そんな彼女も、シヅ子よりは活躍の場が多かったのです。

Keiko

笠置さんと親交が深かった淡谷のり子さん。『ブギウギ』では「茨田りつ子」の役名で、菊池凛子さんが演じていますね。

吉本興業の御曹司・吉本穎右(えいすけ)との恋

満足に芸能活動ができず、悶々としていた戦時中のシヅ子。しかし、同時期、人生を変える大きな出会いがありました。

1943年、吉本興業の創業者・吉本せいの息子の吉本穎右(えいすけと恋に落ちたのです。吉本はシヅ子よりも9歳年下で、出会った時はまだ大学生でした。

穎右の母親の吉本せいは、当初は2人の仲に反対していましたが、徐々に理解を示したといいます。その後シヅ子が妊娠すると2人の仲はほぼ公認となり、彼女は結婚後に引退して家庭に入る決意をします。

ところが、1947年、結核で療養中だった穎右が24歳の若さで亡くなってしまいます。シヅ子が女児を出産したのはその数日後。入籍も子どもの認知も間に合いませんでした。

シヅ子は、服部良一氏をはじめ、まわりの後押しもあって、育児をしながらの現役続行を決意します。

それからシヅ子は生涯独り身で娘を育て上げ、穎右への愛を貫きました。

Keiko

『ブギウギ』では、吉本穎右さんがモデルの村山愛助水上恒司さんが演じています。第11週「ワテより十も下や」でスズ子と出会い、障害を乗り越えて事実婚状態となりますが、実際はドラマのように二人きりで生活できた時間はなかったようです。

ブギの女王・笠置シヅ子誕生!

ブギの女王・笠置シヅ子誕生!

「東京ブギウギ」でブギウギ・ブームを巻き起こす

1945年、終戦の年の11月からシヅ子はショーへの出演を再開します。そして、1947年にリリースした東京ブギウギ」が大ヒット。シヅ子はその後も「大阪ブギウギ」「買物ブギ」など、一連の「ブギもの」をヒットさせ、「ブギの女王」としての地位を確立しました。

ブギウギとは、1940年代に流行したジャズの一形態で、特にピアノを中心としたリズミカルな演奏が特徴の音楽

「東京ブギウギ」が生まれたのは、シヅ子の出産と同じ年。シングルマザーとして再出発を誓ったシヅ子のために、服部良一が作った曲です。

つまり、もしシヅ子が穎右と予定通り結婚していたら、ブギの女王・笠置シヅ子は誕生しなかったのです。

Keiko

こんな短い間に最愛の人を亡くし、娘を出産し、歌が大ヒットするなんて、ジェットコースターみたいな展開……。

「東京ブギウギ」をカバーした日本の歌手は?

彼女の楽曲の中でも、とくに「東京ブギウギ」は今日に至るまで多くのアーティストにカバーされ、日本の音楽シーンに大きな影響を与えています。

東京ブギウギをカバーした歌手といえば、古くは美空ひばり、雪村いづみといった大御所が有名ですが、現代もたくさんの人たちが歌っています。その一部をご紹介しましょう。

・テレビやコンサートで東京ブギウギをカバーしたアーティスト
少年隊、TOKIO、中森明菜など

・アルバムに東京ブギウギを収録したアーティスト
ユニコーン、村本玲奈、スターダストレビュー、福山雅治、氷川きよし、渡辺美里など

革命を起こした笠置シヅ子のパフォーマンス

歌手・笠置シヅ子は、戦後の日本の音楽シーンにおいて革命的な存在です。その特徴は、躍動感のあるリズムの楽曲と派手なダンスパフォーマンス。

それまでの邦楽界は、直立してひたすら「歌を聴かせる」歌手が主流でしたが、彼女はステージの端から端まで動き回り、客席との掛け合いを取り入れるなど、観客を巻き込んでダイナミックに展開されました。

そんなシヅ子の型破りで激しいパフォーマンスは、戦後の日本社会が求めていた「新しい文化」や「価値観」を体現するものだったのです。

Keiko

いまでこそ、どのライブでも当たり前にあることですが、この時代に女性がこれをやったのは本当にスゴイですよね。

作詞家・なかにし礼氏は、その著書の中で、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」について次のように語っています。

考えてもみよう。女が「心ずきずき わくわく」と歌うこと自体、国によって良妻賢母のイメージに塗り固められた戦時中の女性からすれば画期的なことだ。そのうえ、笠置シヅ子は全身を使って踊りながら歌う。それがどれだけ破天荒な新しさに満ちていたことか。

(出典:『歌謡曲から「昭和」を読む』なかにし礼/NHK出版新書)

笠置シヅ子の映画・ドラマ出演

よかったらシェアしてね

この記事を書いた人

Keikoのアバター Keiko 編集者・ライター

雑誌記者歴10年以上、書籍制作で発行部数150万部超の編集者・ライターです。テレビドラマや映画、音楽、タレント、俳優、アーティスト等の気になる話題など、私のアンテナが反応した情報をお届けします。

目次